都留文科大学学報(最終)【Web差し替え(R7
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 1995年4月1日に都留文科大学国文学科に着任してから長い年月を勤めさせていただき、ありがたく思います。退職するにあたり、大学運営・教育・研究の各面から簡潔に振り返り、拙文を記します。 大学運営の面では、大学院国文学専攻主任・国文学科主任(現学科長)・就職委員長などを務めさせていただいた後、学長補佐として本学学生の教育と就職の向上に努めました。 その経験をゼミ生の就職指導に応用し、優秀な学生を世に送り出し、学科の就職面の向上に貢献してきました。学生が希望する職業に就くことができるようにバックアップすることは大学教員の責務。とは言え、大学で教鞭をとるゼミ卒業生はわずか2名。恩師の場合の十分の一にも及ばず、自分の力不足を痛感しております。 教育面での私の業績の一つに、教養科目の手話の授業の開設があります。毎年、全学科から数多くの受講者、ありがたく思います。国文学科の「日本文化史実習」カリ改定後「日本文化史演習」では、愛知・伊勢・奈良の史跡を学生の皆さんと楽しく巡りました。学科主任の時には、海外実習を初めて実施し、2年間で韓国と中国の史跡や博物館などを見学しました。日本と親交のあった百済関係の博物館・唐の都長安のあった現西安の史跡・万里の長城など、今も脳裏に鮮明です。ゼミの課外活動では、そばやうどん打ち・藍染・陶芸・ガラス細工など、日本文化の一端を体験しました。私の作った木の葉形皿に「万葉永遠」、ラグビーボール形皿には「人生はラグビーボールのようにおもしろい」の言葉を刻んでいます。 研究の面では、多くの重要な論文を執筆することができました。紀要では図書館の優秀な司書の方々にお世話になりました。 2023年1月、最終の授業のゼミの歌会を寿ぐように、紅梅の花が咲いていました。掲載写真はその紅梅花で、歌会での私の拙歌を最後に記させていただきました。この原稿執筆が1月末。大学を去る3月31日には桜の花が退職を祝ってくれるでしょう。 教職員の皆様、国文学科の教員と事務職員の方々には大変お世話になりました。心から感謝申し上げます。大学と皆様の益々のご発展をお祈りいたします。明日へ咲く思い出国文学科教授 鈴木 武晴1月に咲く紅梅花・最終の授業を寿ぐかのように一月に咲く紅梅の花・ゼミ三年十三名の乙女らよ しなやかに生きよ幸せであれ・いくつもの光景として明日へ咲く思い出胸に大学を去るさよなら文大42023年3月6日(月)

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