都留文科大学学報(最終)【Web差し替え(R7
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「後生畏るべし」という言葉がある。都留に来て最もよかったことは、ゼミを通して良質の学生たちと触れ合えたことだ。2014年に専任講師として着任して以来、100名ほどのゼミ生を送り出してきたが、ゼミの場で彼らとともに作品を読み、各々の発表を聴き、全体で討議するなかで、私自身ゼミ生の若々しい感受性から学ぶことが多くあった。 そのひとつに宮沢賢治との関わりがある。私が担当する日本文化ゼミでは、どういう訳だかほぼ毎年、宮沢賢治の研究をしたいという学生がおり、彼らの多くが優れた卒論を書き卒業していった。映画『グスコーブドリの伝記』と賢治の原作とを相互対照させて映画作品固有の〈文学性〉を追究したもの、産業組合をめぐる賢治の思想を作品分析からあぶりだしたもの、賢治のベートーヴェンへの偏愛を軸に《交響曲第五番:運命》のイメージの受容の痕跡を賢治作品の中に見出しつつ分析したもの……。今、思い出すままに書き連ねても、それらの論のおおよその輪郭と書いた卒業生の顔が思い浮かぶ。 実は、都留に着任する前、賢治に対して、やや苦手意識を感じ敬遠していたところがあった。だが、指導を行う必要上そんなことは言っていられない。通勤退勤の電車の中でゼミ生が扱う賢治作品を改めてポツポツ読み直した。するとだんだんに賢治ワールドに誘われ、いつしか電車での賢治読書に愉しみを覚えるようになった。ゼミ中に自身の研究上の問題意識との接点を見い出して知的昂奮を覚えたこともある。今年度も、賢治の「青森挽歌」を取り上げた卒論が提出されたが、帰りの車中でそれを読みながら、そこで論証されている賢治の妹トシの死への屈託とそこからの再生への意志のありように胸迫るものを感じ、慌てて中央本線の窓の外に目をやり夜の景色の中に意識を逃がしたこともあった。日々の雑事に追われて見失いがちな〈文学すること〉を思い出すことのできるひとときがゼミの時間であった。 今、引越し準備のため散らかった研究室から冬の都留の山々を眺めつつこの文章を書いている。本部棟5階の大きな窓からの眺望はとても気持ちよい。自分という人間が都留に来て遺し得たものは何だろうかと考える。これについては容易に答えが出なそうだし、自分で言うべきものでもないのであろう。が、私自身の中に遺され今なお息づいているものについてははっきり言うことができる。太宰治の「笑い」をテーマにした卒論を書き上げて芸人の道に進んだクールなN君。ディスカッションが低調な時に盛り上げようと奮闘してくれたゼミ長のOさん。卒論の講評のことばをその後も励みにしてくれて結婚式の披露宴で主賓のひとりとして招待してくれたM君。エトセトラエトセトラ。全員をうまく送り出せたとは言わない。当然ながらほろ苦い記憶もある。だが、今脳裏に去来するのは、自分の考えていることを一生懸命ことばにしようとしている彼ら彼女らの真剣な表情であり、議論に花が咲いた時の屈託のない笑い顔である。全国各地から都留に集い、四年間を都留で過ごし、また全国各地に散らばって、それぞれの場所でそれぞれの人生の物語を懸命に生きていることだろう。彼ら彼女らに幸多かれと願い都留でのよき一期一会に感謝しつつここに筆を擱く。都留を去る辞国文学科教授 菊池 有希ゼミ合宿の写真。2019年、諏訪にて。さよなら文大5都留文科大学報 第151号
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