都留文科大学学報(第152号)
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英文学科 教授中地 幸 半期の学外研究のうちの一部をハワイ大学マノア校のアメリカ研究学科にて過ごさせていただきました。貴重な機会をくださった都留文科大学に心より感謝申し上げます。ハワイ大学は、ワイキキから車で10分ほどの場所に広大な敷地を構える総合大学で、図書館に近いイースト・ウエスト・センターの宿舎に滞在しました。研究員は図書館資料を使うことができますので、日本ではできない文献調査をすることができました。またハワイ大学の教員や名誉教授の先生から直接、研究のアドバイスを受けることもできました。 今回のハワイ滞在で全く新しく学んだのは、ポリネシアの伝統航海カヌー、ホクレア号についてです。これは二艘のカヌーをつないだカタマラン(双胴船)で、エンジンやコンパスなどの計器を使わず、星や太陽を頼りに古代の航海術で走行する船です。1970年代に起こった「ハワイアン・ルネッサンス」とよばれるハワイ文化復興運動の中でリバイバルが起こり、現在ではハワイ伝統文化の象徴として、またハワイアン・アイデンティティの根幹として位置づけられています。現地ではホクレア号の日本人クルーである内野加奈子さんという素晴らしい女性に会うことができ、停泊しているホクレア号に乗ることもできました。 1978年のホクレア号のタヒチへの航海で亡くなったエディー・アイカウについても初めて知りました。エディーは、ノースショアのビーチでライフガードとして活躍した伝説のウオーターマンで、どんな荒波でも救助を行った事を表す「エディなら行くぜ」(Eddie would go)のフレーズで知られています。現在では世界最高峰のサーフィン大会に彼の名前がつけられていますが、ホクレア号が嵐で遭難しそうになった時、エディは助けを求めるためにサーフボードで嵐の海に乗り出し、そのまま行方不明になってしまいました。海を愛し、他人のために命をかけるエディの純粋な生き方は、今でも多くの人々の共感を呼んでいます。 ハワイの劇作家の作品を上演する小劇場に足を運んだのも、新しい経験でした。ヒロ出身の作家ロイス・アン・ヤマナカの小説をベースにした劇を見ることができましたが、劇場にはアジア系アメリカ人小劇場運動のようなローカルな活気があり、わくわくしました。ヤマナカも来ていました。劇場は歴史的な建物が多い地区にあり、上演前にぶらぶら歩いていたら偶然ハワイの報字新聞の草分けである日布時事の建物を発見したのも嬉しい驚きでした。 最後に馬鹿なことをしました。スーツケースを空港へ行くバスに忘れてきてしまったのです。諦めて飛行機に乗り、後から滞在中に仲良くなった日系アメリカ人女性にバス会社のオフィスに取りに行ってもらいました。帰国後に那覇市歴史博物館を通して知ったことですが、彼女は実は琉球王朝の血を引く方でした。お土産を沢山もって、またホノルルに行かないとなりません。ハワイ大学客員研究員としてスケートボードが学生の学内移動手段17都留文科大学報 第152号

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