都留文科大学学報(第153号)
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講演会を伺って 国文学科教授 古川 裕佳私が文学部の学生で、短歌が「現代」性を強く打ち出していたころに、三枝昂之という批評家が活躍していたことを覚えている。大学院に進学して近代短歌史の研究書を開くと、研究者としての三枝昂之の名前があった。創作者・研究者・批評家としてのそれぞれの仕事に出会い、〈文学〉とは全てを総合する営みなのだと思い知らされたのである。ご講演当日、三枝先生はこの講師紹介を受けて、ご自身の文業が、敗戦後の短歌不要論――旧弊な制度に縛られたものとして否定する――に正面から向き合い、短歌というジャンルをもう一度再構築するべく、創作・研究・批評の全てを一手に引き受ける形になったのだとお話し下さった。現代では短歌否定論などなかなか目にすることはない。しかし、困難な時代があり、それと闘いながら表現を勝ち取って来た歴史の証人としてのお話には啓発されるものがあった。講演会の感想 国文学科3年 守安 由佳莉他人の生活や感情が、ほんの少しだけ自分の側にあるように感じられる。そういった短歌の魅力を知ることができた講演会だったように感じます。今回の講演会では、樋口一葉から現代の若者短歌に至るまで、様々な側面の短歌のそれぞれに宿る「体温」について教えていただきました。与謝野晶子の情熱的な歌は火傷しそうなほど熱く、石川啄木の歌は平熱で自我を詠っている。このような視点から、私たちは短歌を鑑賞する際に誰かの体温を感じていること、またそれを自分の温度と照らし合わせていることを知ることができました。講演会の後、SNSで短歌について調べてみると、プロとアマチュアの境を問わず多種多様な歌が流れてきました。お話の中にあったような、短歌とメディアの相性の良さを改めて感じました。その日をきっかけに短歌の鑑賞に親しむようになりましたが、若者の中での短歌の立ち位置を考えさせられる瞬間は多いです。講演内でもお話があったように、若者短歌は日常語を生かした自身の折々を詠ったものが多く、日記帳のような役割を背負っているのだと感じます。それらの歌に描かれているのは、受け取る人にとっては全く知らない人の生活や感情のはずです。しかし、私たちは短歌から他人の日記帳を覗き見るようなときめきを受け取るだけでなく、その内容を自分の人生に引き寄せたくなるような共感を同時に覚えています。これが、短歌の持つ「体温」の力なのでしょうか。SNSという画面上のコミュニケーションツールの中でも、誰かの体温を感じることができる。そのような要素を持つ短歌があふれていることの幸福さを噛みしめながら、より様々な視点で短歌について深めていきたいと思います。講演会だより短歌は人の体温にいちばん近い詩開 催 6月28日(水)講演者 三枝昻之氏(歌人、山梨県立文学館館長)講師紹介三枝昻之1944年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、教員をしながら、同人誌『反措定』を立ちあげる。1973年、第1歌集『やさしき志士達の世界へ』(反措定出版局)を刊行。第2歌集『水の覇権』(沖積舎、1977年)で第22回現代歌人協会賞受賞。第一線の歌人として活躍しながら、日本近代短歌史について研究・評論活動を続ける。2005年『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店)を刊行し、翌年やまなし文学賞を受賞した。ほかに迢空賞(2020年)、旭日小綬章(2021年)を受賞している。2013年より山梨県立文学館館長を務める。近年の著書に『跫音を聴く』(六花書林、2021年)がある。19都留文科大学報 第153号
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