学報154号
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高谷 莉子谷崎潤一郎「魔術師」論―文化を取り巻く人々―田中 尚人声と幻視―折口信夫『死者の書』論―冨安 真央谷崎潤一郎「春琴抄」論―重層化される視点と永遠の女性像―増田 あこ横光利一「蠅」論―空虚への収束―宮坂 菜愛夏目漱石『心』論―エゴイズムの帰結と殉死―毛利 唯菜三島由紀夫『鏡子の家』論―廃墟への未練―近代文学 田 恵理ゼミ池端 晴子村田沙耶香作品における「正常」―「コンビニ人間」を中心に石橋 慧菜夢野久作『ドグラ・マグラ』における「精神」―同時代の精神医学に関連づけて佐藤 優美石垣りん詩における〈食〉鈴木 優伽寺山修司『毛皮のマリー』における「変装」須藤 花菜小川未明童話における〈移動〉田沼 愛珠凪良ゆうBL小説における恋愛と家族千田 洋平坂元裕二『大豆田とわ子と三人の元夫』における〈雑談〉と〈脱家族〉コミュニティ名嘉 敦希〈愛〉と〈拒絶〉の関係性―最果タヒ詩論中村 真維中原中也「月の光」論―ヴェルレーヌと中也の月下世界堀部 双葉辻村深月『冷たい校舎の時は止まる』論―成長しない生徒たちと学校空間増渕 千星森見登美彦『熱帯』論―小説をめぐる小説について―山下 優寿朝井リョウ作品における「多様性」と「性」の正しさ―『正欲』を中心に国語学古代語 加藤 浩司ゼミ大倉 夢美文学作品における会話主の特定方法齋藤 千智『今昔物語集』における「寝」「ふす」「眠る」の意味・使い分けについての考察鈴木 雪愛「あかし」等の「赤」または「明」を意味として含む語について武 遥奈原形動詞と「ふ」付き動詞の比較から考える接辞「ふ」中村 瀬七「イデル」「イダス」から「デル」「ダス」への変化について中村 柚希「拱」の日本における訓と意味の歴史的変化藤平 美奏「たづねる」の意味の歴史的変化について三村 真子清和源氏の男性漢字名における「系字」「通字」の検証宮岡 武「罪」を表わす語の変遷菅原 眞子古代日本語における二人称について国語学近代語 早野 慎吾ゼミ金城 碧希沖縄の言語景観―観光資源としての沖縄方言―五十嵐沙紀東京のコミック景観における演出研究岡田 純音A study on Modifier in Japanese Simile Comprehension(日本語直喩の理解における修飾句の研究)黒川木の香テレビドラマにおける同意要求表現ジャナイの研究―『カルテット』を例に―鈴木 愛菜豊島区南長崎マンガランド事業―トキワ荘によるまちづくり―財部 想鹿児島県方言のアクセント研究―世代差を中心として―中島 望結外国人児童生徒の教科書語彙理解度に関する研究―外国人児童生徒と留学生の比較から―古田 隆道江戸情緒を残す浅草の言語景観水井 果恋国重要無形民俗文化財・西川古柳座における伝統芸能の継承三觜 樹サブカルチャーを活用した言語景観―アキバと乙女ロードを中心として―山本 和奏マンガの性的表現におけるオノマトペ研究―BL作品を中心に―依田 鈴菜古舘春一作『ハイキュー』のオノマトペの特徴―「静」と「動」の対比から―渡邊 晴香マンガ・キャラクターの性格と言語表現に関する考察―マンガ『新世紀エヴァンゲリオン』の女性キャラクターについて―漢文学 寺門 日出男ゼミ大村 野乃朱子学における『孟子』熊谷 玄勢本居宣長と老荘思想照内 琴葉荻生徂徠の『絶句解』について国語教育学 野中 潤ゼミ小林真奈香インクルーシブ教育における「通級による指導」の意義と実践について佐野 日和高等学校国語科における小倉百人一首を教材化することの有用性昔農 理沙宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を教材とした中学校国語科授業の研究竹本 菜央国語科教育における読書の有用性―読書感想文を事例に―田中 沙奈サンボマスターの歌詞の教材化~歌詞を用いた詩教育とアドラー心理学の融合~田村 岳杜ChatGPTがもたらす国語科教育への有用性野尻 大介教育の公正を追求する国語科 ~インクルーシブ教育の視点から~福原 裕太インクルーシブな国語科教育の実現に向けた課題~「伝え合う力」を中心に~松田 夢進化するAIと国語教育のこれから~探究学習の視点から~丸山 結菜自己肯定感を高める中学国語「書くこと」安村 咲希・山口 泰葉映画『千と千尋の神隠し』の教材化について日本文化 菊池 有希ゼミ雨宮 知己三好達治の詩篇「鷗」と木下牧子作曲の合唱曲《鷗》の比較池上 雛姫古屋信子『三つの花』からみる少女たちへのメッセージ―家制度とルイーザ・メイ・オルコット『若草物語』の受容―小野寺志織三島由紀夫「愛の処刑」「憂国」における切腹表象について―『奇譚クラブ』との関連からJIANG SILONG芥川龍之介の「支那趣味」―『支那游記』を中心に高橋 歩太宰治「ヴィヨンの妻」におけるフランソワ・ヴィヨン受容と家庭像の再構築―「人間失格」との比較を通して―222024年3月4日(月)
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