学報154号
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意義深かった都留での教育・研究法人化が始まった2009年に初等教育学科に着任し、15年間お世話になりました。直近の5年半は、学外研究やコロナ禍における理事・副学長職との兼務などにより、残念ながら指導生を持たない立場になりましたが、全国から集まった学生たちと過ごせた時間はとても幸せでした。伊豆や河口湖での卒論合宿、学校見学やインタビューを兼ねた北海道旅行といった企画を自主的に進めてくれる代々の学生の行動力に感嘆したことも懐かしい思い出です。本学の教育学研究も興味深いものでした。小林重章先生と故・箱石泰和先生を軸とする教授学の伝統と、森博俊先生や田中孝彦先生が大学院で進められた臨床教育学研究は、今後の教育においてさらに重要となる分野です。教育課程論を担当するゼミの教員として採用された私としては、ナラティブ論の視点で両者を統合し、カリキュラム論の国際的動向に接続することが本学の教育学の深化につながるとの見通しで検討を進めてきました。在職中に不十分ながらも一定の仕事ができたのは、他大学に比べて恵まれた研究条件のお陰と感謝しています。教職支援センターの立ち上げ学務では、教職支援センターの発足にかかわり、初代センター長を拝命したことを機に、諸先輩が取り組んできたSATを、「センター1」と学部教員の協働による「教育フィールド研究」として体系化し、「センター2」の業務として、本学を卒業した全国の若手教員に対する支援を行うという二本柱の構想を学内で認めていただきました。前者は亀田孝夫先生、後者は山﨑隆夫先生、宮下聡先生といった特任教授の方々の深い理解とご努力によって実現に至りました。この取り組みはマスコミや大学評価、学会でも注目されましたが、そこで得られた知見を学部教育にフィードバックする機会となるはずだったカリキュラム改訂の前にセンター長を交代することになったのは残念でした。副学長としての得難い経験私が本学に移ってきた最大の理由は、前任校で若い時期から大学運営の業務に駆り出されたことに辟易し、教育・研究という大学教員本来の仕事に専念したかったからです。その私に副学長の役目が回ってきたのはいささか不本意な巡り合わせでしたが、結果的には、得難い経験になったと思っています。一つは、人間の様々な側面を見ることができたことです。着任と同時にコロナ対策に忙殺されたことは、学長となられた藤田英典先生にとっても想定外の事態だったようですが、私自身も2カ月近く自宅に戻らず、大学会館から土・日曜も出勤する日々が続きました。しかし、それにより、未曽有の危機においても知恵を出し合い、不安に駆られる学生や教員に浮足立つことなく対応し、大学を守ろうとする職員の方々の奮闘に接することができました。また、どんな時にも明るさと人生の軸を見失わない杉本光司副学長の姿は私の生き方の手本となりました。もう一つは、将来構想委員会を立ち上げ、学部再編を含むボトムアップの議論ができたことです。人文社会科学の重要性とさらなる可能性を明らかにし、社会的に認知してもらうことは、人類にとっても、本学の生き残りにとっても重要です。この点について様々な分野の先生方の見識に触れられたこと、それをさらに深化させる「都留のヒューマニティーズ研究」という副学長裁量経費企画が加藤敦子学長をはじめとする常任理事の方々の賛意を得られ、参加を表明してくださった先生方の力で進められ始めたのはありがたいことです。以上の感謝と共に、今後も都留文科大学が、社会的な役割を果たし、発展されることをお祈りしています。退職に当たって学術・研究担当理事(副学長) 田中 昌弥さよなら文大62024年3月4日(月)
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