学報154号
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都留文科大学には、まず学生として四年在籍し、卒業後八年の武者修行を経て、本学に着任以来三十二年、何とか大過なく定年まで勤務することが出来た。まずはお世話になった皆様に、心から御礼申し上げたい。学問への眼を開かせてくれたのが、学生時代の四年間だった。入学当初は、第一志望の学校に落第して自暴自棄になっていたが、やがて、授業を通して文学研究の楽しさに引き込まれていった。楠元先生の与謝蕪村、大久保先生の万葉集、田部井先生の唐詩の講義等、正に目から鱗が落ちる思いがした。自分が今まで文字の上っ面しか見ていなかったことを痛感し、物を読むとはどういうことかを教えられた。やがて、もっと勉強したいと考え、大学院進学をめざすようなった。三年進級時に漢文ゼミを選択したが、国文学科ということもあって、カリキュラムでは漢文の科目が非常に少なかった。そこで有志とともに田部井先生に、課外で読書会を設けるので指導をお願いしたいと直訴した。当時、先生は多忙を極められていたはずだが、快く引き受けて頂き、一緒に陶淵明の詩を読んで下さった。ちなみに、先生は後年、『陶淵明集全釈』を刊行されることになる。我々が厚かましくもお願いした読書会が、幾らかでも寄与したのではと、勝手に考えている。平成四年四月、思いがけず母校の専任教員に採用して頂いた。着任以前、すでに京阪神地区の複数の大学・短大で、それなりに教育経験はあったが、担当したのは教員免許取得のための必修授業がほとんどであった。もちろん、私の拙い授業を通じて、幾らかは漢文に興味を持ってくれた学生もいただろうが、授業自体は大教室で教員が講義し、学生が聴くという、一方通行のものばかりであった。しかし、都留においては、(少数ではあるが)熱心な学生が相変わらずいて、研究会や勉強会等、授業以外で付き合ってくれる学生がいた。それが、着任直後から現在に至るまで、(コロナ禍では制限されたけれど)絶えることがなかったのが、何より有り難かった。私の専門は中国思想だが、国文学科ということもあり、研究会等で読むのは漢詩が主であった。それらは、長い教師生活を通じて、大抵は読んだことのある作品ばかりであったけれども、学生諸君と一緒に、注釈を参照しながら読むと、しばしば新たな発見があった。現在の日本において、勉強熱心な学生に囲まれ、ともに読書の悦びを味わうことができるのは、果たしてどれだけあるのだろうか。振り返ってみれば、学生として、また教員として、都留で過ごすことができたのは、幸福なことだったと思う。これからも、都留文科大学が、こうした学びの場で在り続けてほしいと願ってやまない。学んで時に之を習う国文学科教授 寺門 日出男さよなら文大ゼミ合宿 安曇川藤樹書院にて7都留文科大学報 第154号

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