学報154号
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1993年4月比較文化学科が新設された翌年4月私は赴任した。思えば設立時の状況を知るのは私が最後となった。赴任後新学科設立に尽力した諸先生たちの議論に触れ、熱が伝導してきた。学生も1年生、2年生しかいなかったが、先輩がいないため自分たちで学科を作っていけるので入学したという強者が多く、新歓オリエンテーションで2年生オリターたちは「私たちがするので先生たちは何もしなくていいです」と頼もしく、教員に負けず劣らず熱かった。学科内では共生、人権などに深い理解を有する優れた先生方もいたが、時に他学科の教員から酒席で「君は戦争が起きたらどこの国の鉄砲を担ぐんだ!」などと言われることがあったが、私は冗談っぽく「私、体が弱いんです。鉄砲は重くてとても担げません。水鉄砲ぐらいしか無理なんです」と応答していた。どこの国の鉄砲も担がない第三の選択肢があると婉曲に言ったつもりが、相手は怒りだしたりしたが。 本学にはほかの大学では存在しないことも多くなった在外研究制度があり、私も1年間ソウル大学、半年間は南カリフォルニア大学に行かせていただき深く感謝している。良い研究をしてこそ、良い授業ができるという信念を持つ学長たちがこの制度を守りぬいてきた。私はソウル大学滞在時に、多くの先生がたと交流が生まれ、何度も目からうろこが落ちる思いをさせられた。韓国併合不法性論争にも参加させていただき、その国際共同研究書2冊の編集、刊行に深く関り、韓国併合条約は国際法上無効という確信を得たが、今後の日本と朝鮮半島のことを考える新しい視座を得ることができたのである。この時の仕事ぶりを評価していただき、世界中の著名な学者が参加した『韓国強制併合100年再照明国際学術会議』(東北アジア歴史財団主催、2010年8月)にて本学の看板を背負って全体の基調講演者に指名されたのは名誉なことであった。またこの時の縁の連鎖で天才、金泰昌先生(当時京都フォーラム主宰者)に出会える幸運に恵まれた。欧米の古典、漢文古典まで自在に操り現代世界を照射する「公共哲学」を提唱しつつ、韓国的思考、哲学の長所を剔抉する金泰昌先生から私の研究の方向性に大きな影響を受けることになったが、まだとても消化しきれないままであり、どうやら息絶えるまで課題であり続けそうである。 南カリフォルニア大学滞在時にはロサンゼルスのコリアンタウンで生活する貴重な経験を得た。商店経営者は韓国系米国人で従業員はヒスパニック系というパターンが多かったが、最低賃金が守られておらず、米国ではどこでもよくある景色であった。なぜ?警察が取り締まらない、政治家たちが警察を指導しないためである。最低賃金を国家ぐるみで守らない法治国家!低賃金労働者が勝手に流入してきてくるため、米国企業は低賃金を求めて国外にでていく必要がない。これが米国資本主義の特質で、ここから独自の移民労働者たちの権利獲得運動が生じることに気がつき、日韓の外国人問題を考える時の比較座標軸となりえることに気がついた。 在外研究で得た知見は研究として深め、講義に反映させていくこととなった。講義をきく学生たちの反応もうれしいものであった。今後も都留文科大学の発展維持のためには、在外研究制度は欠かせないと確信している。多くの教員がその幸運に預かり続けることができ、今後の都留文科大学の発展に寄与することを今後離れたところから祈念していくこととしたい。 都留文科大学の財産: 在外研究制度、研究と教育比較文化学科教授 邊 英浩さよなら文大最終講義終了後ゼミ生たちと82024年3月4日(月)
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