学報157
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忘れもしない、都留文科大学から面接の電話をいただいたのは運転中であった。引っ越しのため、不要になったCDを中古屋に運んでいる最中だった。両親が亡くなり、都立高校の教員としても先行きが見えず、東京を脱出したいとも思っていた。こうした公私とも行き詰っていた時であった。大学の公募は出していたが通過することもなく55歳を過ぎ、もう諦めていたが惰性で出していた。それが思いもかけず面接に呼ばれ、一筋の光が見えたような気がした。その3年ぐらい前であったか、休みの日に、河口湖に電車で行ってみようと思い立ち、住んでいた京王線の仙川から高尾、高尾から大月、大月から河口湖まで遠征したことがあった。富士急の途中駅に都留文科大学前があった。自分が受験生だった頃から知っていた大学であり、ここに都留文科大学があったのかというちょっとした驚きがあった。車窓から駅からの遠くの風景に眼を凝らしてみた記憶がある。思いがけず、その大学に引き取ってもらった。ありがたかった。今でも時折思い出すのは、面接で呼ばれて、守衛の小屋を通る時。面接の待ちで、事務室に上がる階段を昇る時である。その時、感謝の気持ちを思い出したりもする。拙い論文や著書をしっかり読んでもらって評価してくれたこと、何の縁もない一介の都立高校教員を評価してくれたことに。赴任後、西尾を引き取って良かったと思ってもらいたいという気持ちで一杯であった。まずは、所属した地域社会学科は教育学科ではないので、教職に関しては、学科の“灯台”になろうと考えていた。地域社会学科の教職を一手に引き受けようと思った。教育では、指導法において、学生に利する内容や方法をよく考えて実践していこうと思った。全国から集まった学生たちは素直で、今までの教員生活の中で一番ストレスレスな学生たちであった。学生に頼まれて、教員採用試験の面接補講を行ってきた。それは今も継続中である。こうした授業や補講で関わった学生の何人かとは今でも繋がっている。ゼミや大学院で学生を指導する機会もいただいた。10年前には考えられないことであった。この学生たちもやりがいがある学生たちであった。今でも繋がっている卒業生がいる。研究では、平和教育、社会科教育、学校教育論と3つの分野で行ってきた。都留文科大学に赴任する前から3つの分野のテーマが決まっていて、それをひとつひとつ論文や本にしていくことを目標にしていた。赴任後、平和教育2つ、社会科教育2つ、学校教育論6つのテーマが残っていたが、そのうち、平和教育2つ、社会科教育の2つ、学校教育論の5つはクリアして論文や著書にまとめることができた。このような経験をもたせてもらった都留文科大学には感謝しかない。それも同僚、事務の方々、何よりも都留という小さな市が悪戦苦闘の中で都留文科大学を創設した先人たちのおかげです。ありがとう、文大! ありがとう、文大!地域社会学科教授 西尾 理研究室から見える風景さよなら文大102025年3月10日(月)

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