学報157
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LEONG POOI YENG「The Influence of the Bumiputera Policy on the University Choice of Malaysian Chinese Students」綿貫 望「タイのピー信仰について」石田奈々子「仏塔にみられみられる東南アジア仏教の宗教観」野村 佳世ゼミ堤 理葉技能実習制度の在り方-韓国の雇用許可制を参考に-磯崎 萌花2016年アメリカ大統領選挙で、なぜトランプは選ばれたのか伊禮 寛貴開発途上国における持続可能な枠組みの分析-失敗から考えるアプローチ-小川 真佳教育から考える日本の多文化共生実現に向けた取り組み-横浜市の事例から-窪田 夕映スペインにおける地方言語の言語的威信の構築と回復-ガリシア自治州におけるガリシア語復興運動を事例に-後藤 涼那警察官による黒人への暴力行為はなぜ起きるのか-アメリカ史からみる正当化-白川みふゆ社会心理学的観点からみる日本人の外国人嫌悪-嫌韓意識に焦点をあてて-多々良圭祥スポーツにおける性的多様性の受容-トランスジェンダー・インターセックス選手の参加をめぐる考察-羽吹 天音日本におけるホワイト・ネイションの歴史性-幻想を抱かせ、維持・再生産する白人性-樋口 葉音技能実習生を受け入れるための日本語教育真家 凛花技能実習制度の本来在るべき姿とは矢崎百合子難民とともに暮らす社会の実現に向けて-ドイツのインクルーシブな言語教育を参考に-上野 貴彦ゼミ須江あかり日本語教育を解きほぐす~支援者の語りに注目して~ 古戸 広大日本人ワーキングホリデーの現状―シドニーを例として―加賀美悠大学問のジェンダー問題:試験制度に注目して國代 亜湖国旗に映る脱植民地化――歴史とアイデンティティの象徴闘争齋藤 友萌韓国創作ミュージカルとナショナリズムの関係性―安重根と海外養子縁組を中心に―佐々木優花東北地方における外国人支援体制――教育機会の偏りがもたらす課題と支援体制の可能性佐藤 鈴子新宿における「日本人」の語りをめぐる試論的考察谷 朱理日本における言語と国民性をめぐる言説について 土田 遥幸福を輸入する―北欧の休み方・働き方言説の日本における広がり―藤井 晴メディアからみる日本のフラ受容山越 英嗣ゼミ坂本 京子地がらしをめぐるフードスケープ論――福井の「麩市の地がらし」の事例から食が持つ物語性と景観について考える千葉 優衣神楽の「舞い手」と「観客」の相互作用――岩手県花巻市大迫町早池峰大償神楽を事例として石田 百花道の駅が果たす地域福祉の役割――山梨県の高齢者支援の実態調査生藤 舞阿波藍における伝統の変容と継承――徳島県藍住町の事例から阿部 華稀「横手の送り盆まつり」における伝統文化の継承齋藤ちひろ災害とツーリズム――福島県におけるホープツーリズムを事例に佐々木諒大日本のヒップホップにおけるジェンダー意識の変遷熊谷花菜海なぜ「恩送り」をするのか――「お互いさまの街ふくしま」を事例に沼尻 菜央若者における伝統的工芸品の継承の意義――三重の伊賀組紐を事例に仙崎まりあ物語における母娘関係――母からの自立と創作による自己心理療法的な側面から物語の意義を考える山添 綾子フェスと人びと――京都大作戦を事例に大澤 智奈日本社会のジビエ普及と狩猟文化の継承齊藤 みどりゼミ大川 明肉食主義から差別問題を考える——あらゆる抑圧からの解放とは何か——大西 芽依チョコレートと社会問題——『チョコレート工場の秘密』とその映画作品を中心に——岡本 践The Assessment of Muscle Dysmorphia Seen in Body Builders ボディビルダーに見られる筋肉醜形障害に関する考察岸 風花ジェンダーステレオタイプの変遷——グリム童話からディズニー作品まで——木村 理人芸と芸術の全う——フランツ・カフカ『断食芸人』論——粉川 友希ディストピア小説におけるユートピアへのまなざし——オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』を巡って——齋藤 琴美変容する『フランケンシュタイン』——虚構から創作へ——阪井めるも『若草物語』に見るルイーザ・メイ・オルコットの「幸福」観冨永 歩美『さんかく』における関係性——食と女性性の表象——千葉 優羽ファム・ファタールとしてのジプシー像——ユゴー著『ノートル=ダム・ド・パリ』を題材に——松下 里帆『十二国記』におけるアダプテーション研究——原作とアニメオリジナル——Ling Mengyiアリス・ウォーカーの『カラー・パープル』から見る黒人女性——小説と映画の比較を通じて——山崎 舞衣K-POP歌詞と日本語版歌詞における日韓役割語比較 ——人称代名詞と文末表現を中心に——33都留文科大学報 第157号
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