学報157
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都留文には11年間お世話になりました。無事勤めを終えられたのも同僚の先生・職員様方、学生・院生さん方のお蔭と心より感謝いたします。3年前に健康上の理由で定年より少し早く退職することに決め、指折り数えてその日を待ちました。今後は少しでも長生きできるよう、仕事も研究もやめて、田舎で気楽に晴耕雨碁の日々を送る予定です。国文学科は旧国公立ではもはや珍しくなりました。特に「国語学~」という名前で科目を開設しているところは少ないと思います。全国的な「日本語学会」の名称をはじめ、現在では「日本語学~」と称する大学がほとんどだからです。自身は名古屋大学文学部・院で学び、最終学歴では「文学研究科国文学専攻国語学専門」ということになっています。学部では文学系で「うつほ物語」を卒論に選びました。大学院では語学系に転向して助動詞キ・ケリの差異や語彙論の研究をしました。演習では変体仮名を読み、日国大を引き、卒論や修論では岩波古典大系などの注釈書を読みながら必要な用例をノートやカードに書きまくるのが常でした。修論までは原稿用紙に万年筆で執筆しました。その後ワープロやコンピューターが普及し、研究の道具は変わっていきましたが、注釈書や文献を頭から読み、作品を理解しながら一つ一つ用例を採る、という方法は基本的に変わりませんでした。今流行りのコーパスから検索ソフトで用例を採る方法は、私にはどうもなじめませんでした。就職して身分が安定してからは、国語学的に価値のある文献資料の発掘にも手を出すようにしました。最近全て始末しましたが、トタン製の箱が約20、私の研究室の書架の上に置いてありました。中身はほぼ江戸の版本で、漢籍・仏書・心学書・手習い書など多様な顔ぶれです。その中には研究対象となった「仮名貞観政要」の版本や「女大学絵抄」、「両点本法華経」なども含まれていました。ある文献資料が何らかの価値を有するかどうかは、少なくともそれを読んでみないとわかりません。変体仮名や行草で書かれた古文や漢文を読んで内容が理解できなければ、その資料の研究上の価値がわかるはずがないのです。そういう意味では歴史の先生方の方が生の文献資料を読むプロなので、私のようなレベルでは笑われてしまうでしょう。本学国文学科は国語国文学について総合的に学べる学科です。古文や漢文を読む力を身に付けられるカリキュラムを用意している学科です。変体仮名の読み方も指導しますし、演習では古文献も取り扱います。希望さえすれば文献資料を扱うための最低限の知識やスキルも学べます。願わくは本学国文学科がそうした「古典学」の課程を将来も維持していってくださることを、そして日本の古典を読んで正しく理解できる方を一人でも多く世に残してくださることを。後進の皆様にはこの願いをお心のどこかに留めていただければ、と存じます。 「古典学」としての「国語国文学」を国文学科教授 加藤 浩司さよなら文大両点本法華経冒頭62025年3月10日(月)
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