学報157
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2002年4月に着任して、23年間どうにか勤め上げることになりそうです。教員採用の応募書類を出したのは前2001年の夏だと思いますが、その年の9月11日にアメリカでいわゆる同時多発テロ事件が発生しました。深夜、テレビ中継に釘づけになっていたことを今でも鮮明に記憶しています。事件後、アメリカを筆頭とする欧米諸国と日本、さらにはロシア、中国などは対テロ戦争へと向かっていきました。現代史を転換する大きな契機となりました。一方この頃、日本では1990年代に高まった戦後補償運動・加害責任論への反動が90年代後半に起こり、歴史修正主義が高まっていた時期でもありました。日本近現代史を専門とし、とりわけ1930年代以降の戦時期の研究をしていた私でしたが、一方で新たな戦争の世紀に突入し、一方で過去の戦争を忘却するかの状況が進行しつつあったことが、着任後の教育と研究を規定していったとも、今振り返ると、思われます。その後カリ改訂で2004年度から戦争・平和論(通年)が開設され、私が担当するメインの講義科目となりました。2013年度からは、セメスター化により戦争・平和論と現代世界とジェノサイドという2科目となりました。これらの授業との関係でフィールド・ワーク(現スタディ・ツアー)で戦争遺跡・博物館などを学生と一緒に見学する旅を重ねられたのは、楽しい記憶です。また2010年代末までは毎年ゼミ志望者の中に、ホロコーストや「慰安婦」問題、戦後補償問題といったテーマを選択する学生が数名はいる感じだったのが、20年代に入るとそのようなゼミ志望者が少なくなった感があります。やや時代が変わったかなと感じています。2024年度に新カリに移行する過程で、比較文化学科では学科の科目をいくつかの科目群として捉えられるようにしようとのことで、議論が積み重ねられ、「表象・文化交流」「コロニアリズムと人文学」「開発・人の移動」とならんで「平和・国際」というカテゴリーが設けられたのは、私としては嬉しいことでした。今後とも戦争・平和研究を学科の柱として発展させていっていただきたいと思います。私にとって本学は初の専任校だったので、それまでの長き非常勤時代とは研究環境上非常に大きな差がありました。なんと言っても顕著だったのは2度にわたる在外研究の機会を得られたことです。最初は2012年度でしたが、北京大学にお世話になりました。2度目は2022年度後期に北京の首都師範大学にお世話になりました。1度目の時は、尖閣問題、2度目の時はコロナ禍に見舞われるというありさまでしたが、これらの滞在で得られた史料や人的交流は、研究の進展の上で、大変貴重なものとなっています。今後も教員の研究活動を大事にする大学であっていただきたいと願います。本学の今後の発展を心からお祈りいたします。教育と研究の思い出比較文化学科教授 伊香 俊哉さよなら文大忘れがたい入試シーズンの雪景色ビルケナウの象徴ともいえる鉄道引込み線と監視塔(2005年)7都留文科大学報 第157号
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