学報158号
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 研究に専念できる時間は、ふりかえれば大学生・大学院生ぶりであった。まずはこのような1年間を得られたことにつき、学科同僚の皆様をはじめとして、学内の皆様に感謝申しあげたい。この1年間の学外研究という経験は、わたしのこれまでの学究生活をふりかえり、さらに、それらを次に進めるような多くの問いを得る機会となった。 まず、男女共同参画行政に関わって、それは一体、何のどのような問題を対象とし、何をすべき行政部局であるのかといった問いが常にあった。学外研究中に出会えた男女共同参画行政部局で働く職員の方々は一様に、男女平等と、そこにおけるセクシュアリティ平等、さらには「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」を受けた福祉分野を結び、一般行政と教育行政のみならず、福祉行政との横のつながりを考えながら職務を遂行する、という難しい役割を負わされている状況があった。このような状況は、男女共同参画行政に関わるナショナルな指針を求めるが、それまでその役割を担ってきたはずの国立女性教育会館(写真1)が、2025年3月をもってその研修・宿泊機能を物理的に失う。このことをどのように考えれば良いだろうか。 次に、このような国立女性教育会館をめぐる状況変化に関わって、ジェンダー/セクシュアリティ平等を求める動きのなかで、ジェンダー/セクシュアリティ研究を含むフェミニズムと、それら内外における葛藤がある。それは“女性”であるがゆえに経験されてきた困難と、“女性”ではないと見なされてしまうがゆえに経験されてきた困難をめぐる葛藤である。このような葛藤が、“男性”であるがゆえに経験されてきた困難や、“男性”ではないと見なされてしまう困難とどのように重なり、異なるのかは十分に議論されていない。このことをどのように考えれば良いだろうか。 そして最後に、このような「性別」に関わる議論のなかでは常に人種や民族がないことのようにされてしまう状況がある。例えば、日本人が多く移住したハワイにおいて、どのようにジェンダー/セクシュアリティ秩序があるのか、移住民の文化がどのように動員されたのかについて、ハワイ・プランテーション・ヴィレッジ(写真2)の語り部は多くを教えてくれた。国際化する日本社会におけるジェンダー/セクシュアリティをめぐって、わたしたちは何をどのように問題とできるだろうか。 学外研究の1年のあいだにも多くが変化した。その変化のなかでわたしたちの生と性がどのようにあり得るか、教育・学習という対話のもとで考えていきたい。写真1 独立行政法人・国立女性教育会館写真2 Hawaii's Plantation Village地域社会学科 准教授 冨永 貴公男女共同参画行政とジェンダー/セクシュアリティ、民族・人種、そして教育・学習学外研究報告19都留文科大学報 第158号

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