学報158号
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本学に着任して一年が過ぎました。ここでは漢文学の授業で取り上げた中から、「学」という字についての話題をご紹介します。まず「学」という字の部首は何でしょうか。漢和辞典では子部にありますが、西暦一〇〇年に中国で完成した最古の字書『説文解字』をひもとくと、「学」の部首はなんと「教」だといいます。「学」の本来の書き方は「斆」で、覆われていることを表す「冂」、発音を示す「臼」を部首に加えて成っているというのです(「教」の旧字体は「敎」)。十九世紀の学者・段玉裁は「学」と「教」との関係を『礼記』を引いて説明しました。「教えて然る後困しむを知り、困しむを知りて然る後能く自強するなり。故に曰く、教学相い長ずるなり、と(他人に教えてから苦しむことを知り、苦しんでから懸命に学ぶことを知る。だから、教えることと学ぶことというのは補い合うものなのだ)」。自分でわかった気でいても教壇に立つと、本当にこれで正しいのか、と疑問が湧く、というのは我々教育に携わる者には「あるある」ではないでしょうか。続きです。「兌命に曰く、学は学の半ば、と。其れ此の謂いなるか(説命という書物に、学は学の半ばだ、とある。まさにこのことだろうか)」。「学は学の半ば」とはおかしな記述ですが、上の学字は「おしうる」と読むのだ、と段玉裁は述べます。「おしうるはまなびの半ば」、他人に教えることの半分は自分の学びだ、というわけです。唐突ですがここで私は段玉裁と同時代のフンボルトという人を思い浮かべました。彼は、大学は学生に決まった正解を伝授する場ではなく、教員が研究の成果を教育に還元し、学生もそれを鵜呑みにするのではなく常に疑って自主的に研究する場でなければならない、という研究・教育一致の主張をした人です。両者の「学」への認識がどこか共通しているように思われたのです。正解の見えない現代の大学で生きる我々にこそ、「学」とは何なのか、立ち止まって考えることが求められているのかもしれません。都留文科大学広報委員会都留文科大学報 第158号 2025年7月7日発行吉岡卓(委員長)・別宮有紀子(副委員長)・春日由香・陳佑真・加太康孝・菊地優美・中村仁・小島恵・片山夏紀・畠山勝太・藤江毅(情報センター担当)・安富博史(企画広報担当)・大輪知穂(IR担当)・舟久保薫(キャリア支援センター担当)・栗賀暁(企画広報担当)・奥脇開斗(企画広報担当)〒402-8555 山梨県都留市田原3-8-1☎0554-43-4341 URL:https://www.tsuru.ac.jp/学ぶことと教えること国文学科 陳 佑真段玉裁『説文解字注』より「学」・「教」。本学所蔵。ルワンダのガチャチャ裁判ジェノサイドの被害者と加害者の賠償をめぐる対話片山夏紀 著2025年3月発行風響社◇片山 夏紀比較文化学科 講師スロー・ルッキング:よく見るためのレッスン現場教師の連帯のための日本学校教育論シャリー・ティシュマン 著北垣憲仁・新藤浩伸 翻訳2025年4月発行東京大学出版会◇北垣 憲仁地域交流研究センター 教授西尾 理 著2025年2月発行三恵社◇西尾 理地域社会学科 特任教授図書館にゲームを!図書館の新しい可能性日向良和 ・高倉暁大・福田一史 編著2025年5月発行日外アソシエーツ ◇日向 良和共通教育 教授ぶんいだ堂

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